「ヒロシマ1945」 写真や映像がとらえた原爆の惨禍、今こそ語る

株式会社朝日新聞社
6月28日から4回 記者らが東京都写真美術館でトークイベント

〈報道関係のみなさま〉
 東京・恵比寿の東京都写真美術館で開催中の被爆80年企画展「ヒロシマ1945」(主催 中国新聞社、朝日新聞社、毎日新聞社、中国放送、共同通信社)で6月28日から、主催各社の記者らと関係者が語るトークイベントが始まります。1945年8月6日に広島市に投下された原子爆弾は、同年末までに約14万人の命を奪ったと推定されています。写真には焦土と化した広島の様子や死傷者の姿が映し出され、核兵器の非人道性を伝えています。トークイベントでは、被写体の人生や、フィルムを隠して守ったといった写真にまつわるエピソードを語ります。世界各地で紛争が起こり、核の脅威が改めて迫るいま、平和への思いを新たにする機会です。

■東京都写真美術館のウェブサイト https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-5175.html

「母は被爆少女だった」 


「被爆後の市街地に立つ少女」国平幸男撮影(毎日新聞社所蔵)

6月28日(土)14:00-16:00 
宇城昇(毎日新聞社広島支局専門記者)
×藤井哲伸(国平幸男氏撮影「被爆後の市街地に立つ少女」の被写体である藤井幸子さんの長男)

 「被爆後の市街地に立つ少女」(毎日新聞社所蔵)は被爆から3日後、毎日新聞記者の国平幸男が撮影。現在、広島平和記念資料館の本館入り口に常設展示されています。
 右手に包帯を巻いた少女は、当時10歳の藤井幸子さん。撮影した国平は戦後50年の紙面で、「『頑張るんだぞ』。頭をなでて別れた」と回想しています。
 2017年夏、毎日新聞のウェブサイトで写真を見た藤井哲伸さんから「母ではないか」と問い合わせがあり、専門家による写真鑑定などで幸子さんと特定されました。幸子さんは結婚して2人の子をもうけましたが、骨髄がんにより、42歳の若さでこの世を去っています。
 トークイベントでは、哲伸さんと毎日新聞社広島支局の専門記者、宇城昇が語り合い、写真の少女が幸子さんだと特定した経緯や、原爆の放射線が人の体と心を長期にわたって苦しめることを伝えます。

「原爆 そして倉庫で密かに保管された日映フィルム」


日本映画社撮影

6月29日(日)15:00-16:30 
小林康秀(中国放送報道制作局)×山内隆治(日映映像東京支社長)

 戦後50年の間際、都内の倉庫で密かに保管されていた終戦直後のフィルムが発見されました。被爆直後の広島・長崎を記録した「学術調査に伴う記録動画フィルム」で、110分にも及ぶ記録でした。撮影した日本映画社のスタッフは、「原子爆弾災害調査研究特別委員会」の補助機関として同行し、広島では約1か月間、爆心地付近を含む被害状況を収めました。
 1946年4月に英語版の映画にまとめられましたが、編集された映画のフィルムやネガは米国へ送られました。一方、日本映画社のスタッフは未編集フィルムを東京都内の現像所に密かに保管しました。
トークイベントでは、長年このフィルムの保存に関わった日映映像の山内隆治さんに、中国放送報道制作局の小林康秀が保管の経緯や背景などについて聞きます。また会場には、被爆後にこのフィルムに「おんぶされた少年」として映り、2年前に本人であると名乗り出た竹本秀雄氏も駆けつけ、そのときの状況についてお話いただきます。

「被爆直後の広島 フィルムから読み解く写真記者の視線」


「広島赤十字病院でやけどの治療を受ける少年」宮武甫撮影(朝日新聞社所蔵)

7月4日(金)18:00-19:30 
清水隆(元朝日新聞社フォトアーカイブ編集部)×吉田耕一郎(朝日新聞社映像報道部)
×木下広大(朝日新聞社コンテンツ編成本部)
 朝日新聞大阪本社の写真記者・宮武甫は、広島に原爆が投下された3日後の1945年8月9日夕、中部軍管区司令部宣伝工作隊の一員として広島に入り、被爆直後の広島の様子を撮影しました。連合軍からは原爆写真の提出命令が出て、宮武は写真部の上司からネガフィルムの焼却を指示されましたが、自宅の縁の下に隠して守り抜きました。
 貴重なフィルム113コマは戦後70年に合わせて高精細スキャンされ、朝日新聞のデジタル版で公開されています。( https://www.asahi.com/special/nuclear_peace/gallery/2015hiroshima/
 その中の一枚「広島赤十字病院でやけどの治療を受ける少年」(朝日新聞社所蔵)の写真は、その後の取材で医師の名前が判明。戦後78年経った2023年には、少年の名前も分かりました。
 トークイベントでは、原爆関連写真の整理、保存などに関わってきた元朝日新聞フォトアーカイブ編集部の清水隆ら3人が、宮武の写真にまつわるエピソード、歴史的な写真を今に生かすために模索していることなどについて話します。少年の名前が判明する取材過程を追った動画も上映し、その製作過程についてもお話します。

「広島の原爆記録写真の撮影者 証言からたどる」


「御幸橋西詰めの惨状(2枚目)」松重美人撮影(中国新聞社所有 日本写真保存センター管理)

7月10日(木)18:00-19:30
水川恭輔(中国新聞社編集委員)
 本展に展示されている写真を撮影したのは、27人と1機関です。「髪も皮膚も焼けただれ…この世の人間とは思えぬ者ばかり」「写すときに視線が合うんです」「原爆の非情と実態を見せつけられた思いになる…親と子を写すカメラも非情である」。焼け野原を歩きながら、何を目の当たりにし、どんな思いに駆られたのでしょうか。被爆地広島で膨大な関連資料を掘り起こしてきた取材記者が、生前に撮影者が証言した映像や手記などを手がかりにたどります。

■開催概要
会期|2025 年5月 31日(土)― 8 月 17 日(日)
会場|東京都目黒区三田1-13-3恵比寿ガーデンプレイス内 東京都写真美術館 地下1階展示室
主催|中国新聞社 朝日新聞社 毎日新聞社 中国放送 共同通信社
共催|東京都写真美術館(公益財団法人東京都歴史文化財団)
後援|広島市 日本放送協会 日本写真家協会 日本ユネスコ国内委員会
広島県 (公財)広島平和文化センター
協力|株式会社フレームマン 株式会社写真弘社 広島国際文化財団
開館時間|10:00-18:00(木・金は20:00まで) ※ただし8月14日・15日は21:00まで開館
※入館は閉館の30分前まで
休館日|毎週月曜日(月曜日が祝休日の場合は開館し、翌平日休館)
料金|一般 800(640)円/大学生以下無料 /65歳以上 500(400)円
※( )は有料入場者20名以上の団体、当館映画鑑賞券提示者、各種カード会員割引料金
※障害者手帳をお持ちの方とその介護者(2名まで)は無料

トークイベント
会場|東京都写真美術館 1階ホール
定員|190人(整理番号順入場/自由席) ※当日10:00より1階総合受付にて整理券を配布します。
参加費|無料

原爆被害の実態を伝える
 「ヒロシマ1945」では、報道機関の写真記者や広島市民らが撮影した記録写真約160点と映像2点をご覧頂けます。資料の保存、活用に深く関わってきた報道機関が連携して企画展を開くのは初めての試みです。
 被爆直後に撮影されたものが多く含まれ、原爆被害の実態を時系列に近い構成で伝えます。旧日本軍による文書焼却、米軍による写真の提出要求などに、撮影者があらがったことから現存する資料もあります。 1945年の広島を記録した日本映画社撮影の映像2本も常時視聴できます。
本展は、広島原爆記録写真と動画を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」に国際登録することをめざし、2023年秋に「広島原爆の視覚的資料―1945年の写真と映像」として申請した資料を基に構成しています。日本ユネスコ国内委員会を所管する文部科学省と協議しながら引き続き登録をめざしています。写真1532点、映像2点を網羅したアーカイブサイト( https://visual-archives-hiroshima.jp/ )も開設しました。
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